· 

宇宙の境目

宇宙は一つではなく、我々が知らないいくつもの宇宙がある。

マルチバースという理念で、なんだか空想に過ぎないようにも思えるけれど、量子論的にもマルチバースが説明できるんじゃないか、ということが言われている。

 

さしあたり、宇宙に果てはあるのか、果ての先はどうなっているのか、という話から入ってみる。

宇宙は膨張し続けているが、宇宙の果ては膨張している宇宙のその先、ではないらしい。

人間が用いる「宇宙の果て」というのは、人間が信号、つまりは光、を受け取れない領域を指す。

膨張する宇宙の中で、光より速く遠ざかっている領域が「宇宙の果て」である。

 

そう聞くと、宇宙の果てというのはとんでもなくものすごく天文学的にも遠いところにしかない、と思えるが、実はそう遠くない(とはいっても天文学的に)ところにもある。

それは「ブラックホール」である。

ブラックホールの重力は光をも閉じ込めてしまう。そうなると、ブラックホールの内側の光は我々にも届かないので、光が受け取れない=原理的に人がアクセスできない=宇宙の果て、となる。

(「人間原理」というそうだ。これは人間を中心とした原理、という意味ではなく、ある人間がある地点で観察した点が原点や基準になっている、ということだろう)

 

 

では、宇宙の果てに行ったらどうなるのか。

例えば、ブラックホールの内部に入ったらどうなるか。

ブラックホールの内部(光が出てこれない境界、事象の地平線の内側)に入ったら、どでかい重力に押しつぶされるのでは、とか思うが、光が届かない(人間がアクセスできない)という点では「宇宙の地平線(光よりも速く遠ざかっている領域)」より外側も同じ状況である。宇宙領域Aが、光が届かないところまで遠ざかったとすると、地球からA地点は原理的に人がアクセスできない領域になる。このときは、A地点は「人が感知できなくなるだけ」で、なくなるわけではない。

とすると、ブラックホールの内部も同様なのではないだろうか。ブラックホールの内部に入れば、地球から見ると、その領域にはアクセスできなくなる、認識上は「なくなる」。けれど、その領域がなくなったわけではない。地球に信号が届かなくなるだけであって、その領域はありつづける。

もし仮に、人間以外で、ブラックホールの内外を行き来できる物体だかエネルギーだかを感知できる存在がいるとしたら、その存在にとって「宇宙の果て」は果てではない。

 

生物学の世界でいうと「ミトコンドリア・イブ」みたいなものだろう。

今のぼくらにとってのミトコンドリア・イブは確かに現時点での全人類の母かもしれないけれど、ミトコンドリア・イブその人はいきなり誕生したわけではなく、ミトコンドリア・イブのミトコンドリア・イブがいる、みたいな。

 

 

そう考えると、確かにぼくらのいる宇宙の外には、ぼくらがアクセスできないけれどぼくらのいる宇宙のような場所があるのかもしれない、と思える。

 

 

参考:

日経サイエンス 201709

「マルチバースと多世界 インフレーション理論と量子力学のつながり」野村泰起