ばけねこボレロ

 私は猫だ。少なくとも周りで私が猫であることを疑うものはいない。

「あら、トラ、今日もお出かけかい?」

 お世話になっている宿の女将さんが、私を抱き上げてもふもふしてくる。

 私は猫が好きだ。猫はいい。特に家猫は最高だ。愛想を提供するだけで、働きもせず、猟もせず、ひたすら遊びまわって食っちゃ寝することができる。そのためならもふもふされるくらいお安い御用だ。

 幸いこの宿場町には娯楽もある。それは『猫の踊り場』と呼ばれていて、たくさんの猫が一晩中踊りまわっている。

「おお、トラ。いらっしゃい」

 踊り場に赴くと、いつものように長老が私を迎えてくれた。だが、今日はどこか雰囲気が沈んでいる。踊り場を取り仕切っている長老と、馴染みの連中が真ん中に座り込んで何やら暗い顔で話をしている。

「何かあったのですか?」

「うむ。今日は、年に一度、山神様がいらっしゃる特別な日でな。今日の踊りの中心になる者を決めなければならんのだが……」

「中心になったらどうなるのでしょうか?」

「そ、そうだな……。山神様と一つになって、山神様の霊力を宿すことができる、とか」

「私がやりましょう」

「え、でもまだ詳しく話をしてない……」

「大丈夫です。せっかく山神様が来て下さるのに、お待たせするのはよくない。さっそく準備にかかりましょう」

 急かしつけると、長老たちは、うーん、とか、新入りに負わせていいのか、とか、やりたいって言っているのだからいいのでは、とか、もろもろまどろっこしい協議をしてから、やがて決心した。

「うむ、トラが言うなら、まあ、よかろう」

 やり方としては、みんなが輪になって踊る。これはいつもと変わらない。いつもと違うのは、みんなが火を灯したろうそくを持つこと。そして、中心となる者が輪の真ん中で踊ること。さらに、輪になって踊る者は一人一人踊りながら順番にろうそくを消していく、というものらしい。

「もう一度聞く。トラ、いいんじゃな?」

「ええ、早くやりましょう」

 集まったすべての猫が準備を整えて私の周りをぐるりと取り囲む。

 辺りが、しん、と静まり返る。踊り場を照らしていた月が雲に隠れるのを合図に、輪がぐるぐると回り始めた。

 掛け声が呪文のように聞こえてくる。

 ねこじゃ、ねこじゃ。わしゃ、ねこじゃ。

 五郎兵衛のタマじゃ。

 ふっ、と明かりが一つ消えた。五郎兵衛さんところに飼われているタマさんの灯が消えたのだ。名を名乗った猫の明かりが一つずつ消えていく。闇が増すごとに、寒気が増していくのは気のせいだろうか。

 山代屋のリンさん、田島の録三さん、代官とこの黒助さん。歌いながら、踊りながら、闇がどんどん濃くなっていく。声の数は変わらないけれど、輪郭がぼやけて、どれだけの猫がいるのかわからなくなる。

 ねこじゃ、ねこじゃ。わしゃ、ねこじゃ。

 踊り場の長老じゃ。

 輪の明かりが全て消えた。残っているのは私が持っている一つだけ。周りが見えなくなった。他の猫の匂いも、声も聞こえなくなる。

 背中にぞくりとしたものが走る。何事かと振り返ると、大きな黒い影が浮かんでいた。頭部に、一つだけ光がある。その光は大きくなると、持っている明かりごと、私を真っ暗の中に呑み込んだ。

 

 光が顔にかかって、目を開ける。見慣れた光景だ。いつの間に宿に帰ってきたのだろう。ぐーっと伸びをしていると、女将さんがどたどたと駆け寄ってきた。

「トラ! よかった! しばらく帰ってこないから、化け猫にでもなっちゃたんじゃないかと思って心配したよ!」

 女将さんはがばりと私を抱き上げてもふもふする。いつもより強度があり時間が長い。

 女将さんは何を言っているだろう。私は別にどこへも行っていないし、化け猫でもない。

(な、なんでトラ猫に戻る!?)

女将さんがまだ私をもふもふしている。

「家を空けるのはいいけど、ちゃんと帰ってきなさいよ」

 気が済んだのか、女将さんは私を床に降ろして、行ってしまった。

 念のため、辺りをぐるりと見渡す。ここはいつも私が使わせてもらっている宿の一室だ。他には誰もない。

(おい、お前!)

 くわあ、とあくびをして、後ろ足で顔をかきかきする。なんだか体が重い。昨晩のあれは不思議な体験だった。もしかしたら夢だったのかもしれない。

(夢じゃない!)

 何か聞こえた気がする。腹が減っているから空耳が聞こえるのかもしれない。

(そんなわけあるか! ていうか、お前、猫じゃないな。狐だろう)

「……ほお」

 返事をしてやる。この私の正体に気づくとは、空耳にしてはなかなかだ。

(だから空耳じゃない。俺は山神様だぞ)

自分で自分のことを神と言う奴にろくなのはいない。

(ムカつくやつだな。化け狐を贄に寄越すとは、踊り場の爺め、なんてことを!)

 そうか、昨晩のあれは儀式だったのか。長老たちが神妙な顔で集まっていたのは、この奇妙な空耳を誰が引き受けるか相談していたからだったか。

(だから空耳じゃない! なんでわざわざ贄の役を引き受けた!?)

「山神様の魂が宿るっていうから」

(それだけ? なんか変だとか思わないの?)

「山神様がうさん臭いのは誤算だったが、結果論だ。仕方なく受け入れるしかあるまい」

(うさん臭いって言うな!)

 ふんっ、と強いため息をつく。うさん臭いだけでなくうるさい山神だ。頭の中でにゃんにゃんとやかましくて困る。

 そもそもこんなわけのわからない空耳を相手にするよりも大事なことがあったはずだ。そうだ、私は腹が減っているんだ。台所へ行って食べ物を頂戴しなくては。

(も、もういい! お前に礼節を求めた俺が間違ってた。それより、まず客間へ行け)

「なんでだ?」

(いいから。ちょっとくらいは神様の言うことに耳を貸せ)

 不本意ではあったが、そこまで言うのなら行ってやらんでもない。幸い、客間は台所に向かう途中にある。

 指示された部屋を覗き込むと、優男があぐらを組んでいた。何やら小さな筒状の物に、小さな丸い玉と黒い粉を入れている。そばには同じ筒状の物がいくつか転がっている。

(鉄砲の弾だ。十二個……)

 どうしてそんなものを作っているのだろう、と思っていると、優男がこちらに気づいた。

「……見つけた」

男はニタリと口の端を上げ、ぼそりと呟く。顔は整っているのに、あまりにも暗く、陰気な笑みだ。

(ひいっ! に、逃げろ!)

 化け猫が頭の中で悲鳴を上げた。すぐさま客間を離れる。

何者なのだろう。どこかで見たことがあるような気もするが、思い出せない。

(あいつは狩人だ。この辺りに最近出る化け猫、つまり俺を退治に来たらしい)

 この化け猫、もとい、山神は昔から山に住んでいるのではないのか。儀式があるのは年に一回で、どうして今更、人間の里近くで何度も姿をさらすのだろう。

(それはお前のせいだ! お前が化け猫の姿のまま、あの踊り場で踊っているから、噂になっているんだ!)

 初耳だ。少なくとも私は化け猫が踊っているのは見たことがない。

(だからお前だよ! どうやら昼間はトラ猫に戻るようだが、夜の間は俺の、化け猫の姿になっているんだよ!)

 なるほど、だからさっき女将さんも化け猫がどうのと言っていたのか。しかし、トラ猫だろうが化け猫だろうが、この辺りの猫は夜になったら踊り場で踊るものだ。

(真っ黒で目が一つしかない化け猫が夜中に踊ってたら、みんな怖がるだろ)

 そんなのは個々の感情であって、それで私の踊りたい願望を否定されるのは納得がいかない。

(お前の願望なんぞ知るか! いいか、このままだとお前はあの気が狂った狩人に撃たれて、踊ることすらできなくなる)

 ちっ。崇高な山神の魂が手に入ると思っていたら、化け猫になって、さらには命を狙われるとは。とんだ疫病神ではないか。

(俺だって贄を取ってとっとと山に帰るつもりだったんだ! よく話を聞かなかったお前にだって責任があるぞ)

 ふむ。その部分は少なからず受け入れなければなるまい。それより腹が減っていることに変わりはない。とにかく台所へ向かおう。

 

 板前さんが用意してくれた魚介の粗汁に穀物を入れ込んだ器に顔をうずめる。この辺りは海が近く、魚介が豊富にとれる。この季節はサバだ。愛想と引き換えでこんなに美味しいものが手に入る。半分化け猫になってしまったのは予想外だが、やはり猫はいい。

(鉄砲玉を防ぐ盾を見つけなければ。おい、お前も考えろ!)

ぶつぶつ聞こえてくるが今は粗汁が大事なので放置しておく。食べ終わると、例にもれず睡魔が襲ってきたので、部屋に戻り、畳の上に寝そべった。食った後は寝るに限る。

 

 気がつくと踊り場にいた。周りの色彩からして、夜らしい。目の前には、宿にいた男が鉄砲を持って立っていた。猫のように暗闇に光る二つの目がこちらをじっと捉えている。

「起きたか。なんとか鉄砲玉は防いだ」

 さっきまで頭の中で響いていた濁った声が、口を開いて出てきた。踊り場は見慣れているが、いささか視線の位置が高い。自分の体が一回り大きくなっている。どうやら、夜になって化け猫が表に出る形になっているようだ。

周りには鉄の弾が十二個散らばっていて、足元に、割れた鍋の蓋が落ちている。蓋には、合計で十二個、へこんでいる箇所があった。

「山の神とはね。さすが、ぼくの肉体を奪っただけはある」

 狩人が暗い声で呟いた。

「何を言っているのかわからんが、神を狩ろうとしたその勇気は買ってやる」

 勝ち誇ったように化け猫が言う。

(昼間は怯えてなかったか?)

「うるさい! とにかく人間よ、褒美にお前の肉体を我が血肉にしてやろう」

 と、目の前の人間が口元をにやりと上げて、首飾りを引きちぎった。

「ぼくは人間じゃない。それに弾はもう一発あるんだ」

「え?」

「生命弾って言ってね。狩人はいざという時のために予備の弾丸を身に着けているんだよ。もう鍋の蓋は使えまい! この弾にぼくの魂を込めて、奪われた肉体を取り戻す!」

 あ、思い出した。この人間は、たぶん私の魂を入れていたトラ猫だ。持ち主の魂が邪魔だったから忍び込んで追い出したのだが、まさか魂が人間になったとは思わなかった。

「ということはこの狩人はお前を追っていたんじゃないか」

 いや、こいつは自分の肉体を奪ったのは化け猫だと思っている。つまり、今この場で狙われているのはお前だ。

「とばっちりじゃないか、それ! いやだ、死にたくない!」

「怖いか。ぼくの肉体を奪った罰だ!」

「俺じゃない!」

人間が弾を込めて、銃を構える。火花が弾けて、体の中を硬いものが貫く。

「痛い、本気で痛い! どうにかしろ!」

私は痛くもなんともなかった。少しずつ、気が遠くなるだけだった。

 

「おい、化け猫! 起きろ!」

 目を開ける。角を生やした赤鬼が私を睨み下ろしている。周りをきょろきょろすると、見たことのない風景が広がっている。ごつごつしたたくさんの岩と、燃えるように赤い空。ここはどこなんだろう。

「お前はさっき死んで、あの世に来たんだ。そこに寝っ転がっていると邪魔だ! この天冠をつけて、さっさとあの列にならべ!」

 身体は化け猫のままらしい。赤鬼が三角の白い布を投げてよこした。鬼が指さした方を見ると、白い布を頭に巻いたいろいろな猫が並んでいる。どうやら、あの列の先には閻魔様がいて、地獄に行くか、極楽に行くか、決められてしまうらしい。

 と、いきなり体が動いて、私は赤鬼の腰に飛びついた。

「俺は山の神だぞ! 死んだのは百歩譲るが、どうしてこの俺様が閻魔の裁きなど受けねばならんのだ!」

 さらになぜかとても無念な気持ちになって涙がぼたぼたと零れ落ちる。

「どうして! トラ猫に戻れるはずだったのに、こんな醜い化け猫の姿になっているの! こんなのぼくじゃない!」

「醜いとか言うな! 失礼だろ!」

「黙れ、化け猫のくせに!」

「今はお前だって化け猫だろ!」

 一匹が二つの声を出して、泣いたりわめいたりとじたばたしている。どうやら、化け猫に加えて、トラ猫の魂もこの肉体に入ってしまったようだ。

「うるさい! おい獄卒、こいつはやかましいから、判決はなし。地獄に連れていけ!」

 赤鬼が腰から取り出した笛を吹くと、どこからか、口から火をちろちろと吐き出す猫に似た鬼がぎらりと目を光らせてやってきた。

「お前か、うるさい奴は。威勢がいいな。たっぷりかわいがってやる」

「ぎゃあ、化け猫! 怖い!」

 うるさい猫たちだ。体を奪われたり、化けたり、地獄で働いたり。猫というのは案外大変なのかもしれない。

 赤い空からぴゅうと冷たい風が吹いてきた。