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希少性

この国は子供を大事にしない、という声をよく聞く。

電車で子供がうるさいとか、ベビーカー邪魔とか、保育園うるさい、とかとか。

 

なんでこのようなことが起こるか、というと、希少性が少なくなっているから、というのは一つあるのでは、と思う。

 

昔々は衛生面が悪かったり、技術がなかったりで乳幼児の生存率は高くなかった。

むしろ結構低くて、それこそ、産まれて、育って、大きくなる、というのは非常に稀なことだった。

母から聞くところによると、かくいうぼく自身も、現代医療技術(とはいっても、もはや数十年前のことだが)がなければ、育つことなく神に召されていたそうだ。

それに、母には幼くして亡くなってしまった兄弟がいる、という話も聞く。

 

まあ、健康に産まれてきても、口減らしのために幼子を供する、というのもあったかもしれない。

しかしながら栄養状態も満足ではなく、流行り病があったり、医療技術が未発達でささいな怪我や病気が死につながってしまったり、大きな戦争があったり。

基本的に、赤子が産まれて、育って、大きくなる、というのは、昔だったら奇跡的な確率だっただろう。

 

そんなとき、親やら家族やら、そして社会も、育つだけで尊い、と思うだろう。

一人の子供に思いのたけをすべて込める、なんてことはしない傾向にあったのかと思う(なぜならば投資をしてもしっかり育つとは限らないから)。

 

しかしながら、赤子が産まれて、育って、さらに寿命を迎える、というのがそれほど稀なことではなくなった、となるとどうか。

産まれれば育ち、普通に生きていく、というのが常識と化したら、子供は希少ではなくなる。

政治家が社会がどうとか現代国民の生活がどうとかをほったらかして、

「産め」

とだけいうのは、産まれる⇒育つ、というのが疑問もなく繋がっているからではないか。

 

それはなにも政治家だけではなくて、多くの人が思っている。

子供にすべてを注ぎ込むことができるのは、産まれたら(生物学的に)ちゃんと育つから、という「常識」があるからできると言う面があろう。

 

今後、子供の数はどんどん減っていくから、「数的な」希少性は高まる。

のだけれど、ただ数が減ったら子供が大切に扱われるか、というと、そうではないんだろうな。

 

じゃあどうすれば、という話は今回はなしにて。